2018年05月22日

首里城公園(那覇市首里金城町1-2)




那覇空港からモノレールのゆいレールに乗り27分で首里駅に到着。
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コインロッカーに荷物を置いて首里城に行ってきました。


途中いたるところでシーサーに出会います。
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途中いたるところにが咲いています。
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ハイビスカスとツルネラ・ウルミフォリア?

普通にいろんな色のハイビスカスが咲いています。




首里城の城郭を廻ってみました。
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360度写真です。
写真の中にカーソルを入れて上下左右に動かしてみて下さい。

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隅角部が上を向き、少し丸みを帯びています。

隅頭石(すみがしらいし)」と言うらしいです。

角には悪い気が集まりやすいと言われ角を無くすことで人当たり(風あたり)を良くするという意味合いがあるようです。

隅頭石は城内のいたるところで見られるようです。

また自然の地形を生かした緩やかなカーブになっているところがあり、国王の象徴でもある龍の様にも見えます。

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アップダウンのきついところがありましたが、ゆっくり歩いて何とかクリア。



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月桃の花は開き始めです。


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園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
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守礼門のわきにある石門と周辺一帯の森を『御嶽(うたき)』とよんでいます。
国王が首里城から出かける時は、ここ園比屋武御嶽石門で道中の安全を祈願していました。(首里城公園HP参照)




守礼門
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首里城は石垣と城門の多い城であるが、中でもデザイン上バランスがとれ、エレガントな雰囲気のある代表的な門がこの「守礼門」である。中国風の牌楼(ぱいろう)という形式で建立されている。(首里城公園HP参照)

扁額の「守礼の邦」とは「琉球は礼節を重んじる国である」という意味だそうです。




歓会門
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首里城の城郭(じょうかく)内へ入る第一の正門で、「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味である。往時、首里城へは中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」が招かれたが、こうした人々を歓迎するという意味でこの名が付けられた。
首里城は外郭(外側城郭)と内郭(内側城郭)により二重に囲まれているが、ここは外郭の最初の門で、別名「あまえ御門(あまえうじょう)」ともいう。「あまえ」とは琉球の古語で、「喜ばしいこと」を意味する。
創建は1477~1500年頃(尚真王代)で、沖縄戦で焼失したが、1974年(昭和49)に復元された。門は石のアーチ状の城門の上に木造の櫓(やぐら)が載せてある。このスタイルは後述する久慶門(きゅうけいもん)、継世門(けいせいもん)、等と同じである。
門の両側には「シーサー」という一対の石造の獅子像があるが、これは魔除けの意味で置かれている。(首里城公園HP参照)

正門とされているそうですが3mぐらいで狭いです。

敵の侵入時の防御策?



瑞泉門
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「瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでたい泉」という意味である。
門の手前右側にある湧水が「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれ、それにちなんでこのように名付けられた。ここは第二の門で、別名「ひかわ御門(うじょう)」ともいう。(首里城公園HP参照)





漏刻門
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「漏刻(ろうこく)」とは中国語で「水時計」という意味である。ここは第三の門で、別名「かご居せ御門(うじょう)」ともいう。
当時、身分の高い役人は駕籠(かご)にのって首里城へ登城したが、高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りたということからそのように呼ばれている。創建は15世紀頃である。
門の上の櫓(やぐら)に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったといわれている。(首里城公園HP参照)




広福門
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「広福(こうふく)」とは、「福を行き渡らせる」という意味である。「広福門(こうふくもん)」は別名「長御門(ながうじょう)」といい、第四の門である。建物そのものが門の機能をもっており、この形式も首里城の城門の特徴である。(首里城公園HP参照)




奉神門
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「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門である。1562年には石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録があることから創建はそれ以前である。その後1754年に中国の制に倣い改修した。建物は明治末期頃に撤去されたが、1992年(平成4)に外観が復元された。現在は公園管理のための施設として利用されている。
別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」ともいう。向かって左側(北側)は「納殿(なでん)」で薬類・茶・煙草等の出納を取り扱う部屋、右側(南側)は「君誇(きみほこり)」で城内の儀式のとき等に使われた。
3つの門のうち中央は国王や中国からの冊封使(さっぽうし)等限られた身分の高い人だけが通れる門である。それ以外の役人は両側の門から入城した。(首里城公園HP参照)





正殿
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等破風の妻壁には中央に火焔宝珠、両脇には金龍と瑞雲の彫刻が施されています。

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正殿大龍柱(吽形)と正殿大龍柱(阿形)で高さ4.1m(龍柱3.1m/台座1m)です。

正殿(せいでん)は言うまでもなく首里城で最も中心的な建物である。
木造の三階建で、一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場、二階は「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官らが儀式を行う場であった。三階は通気を目的とした屋根裏部屋である。
創建年は、復元に先立って実施された発掘調査から14世紀末頃と見られている。その後ほぼ同位置で数度の焼失・再建を繰り返してきた。現在の建物は18世紀初めに再建され、沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデルに1992年(平成4)に復元したものである。
正殿の建築は、中国の宮廷建築と日本の建築様式を基本にしながら琉球独特の意匠(いしょう)にまとめられている。正面の石階段の両脇に龍の彫刻があるが、これを「大龍柱(だいりゅうちゅう)」と言い、手すりの奥にはもう一対「小龍柱(しょうりゅうちゅう)」がある。その他柱や梁(はり)等にも龍の彫刻が多数施されている。龍は国王の象徴であり、たくさんの龍が首里城には棲んでいる。(首里城公園HP参照)

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南殿から中に入ります。
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御差床(うさすか)
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国王が座る玉座。
御差床背後の障子戸を開くと、奥に国王専用の階段(おちょくい)がある。国王はその階段を使って2階から御差床に出御した。御差床左右の柱には龍が描かれ、そのまわりには雲が配色されている。
なお、国王の椅子については、1477年~1526年まで在位した尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したものである。
2階にも1階と同じ場所に御差床があるのは極めてめずらしいと言われている。特に2階の御差床は絢爛豪華(けんらんごうか)な意匠となっている。(首里城公園HP参照)





ユネスコ世界遺産に登録されているのは遺構
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北殿にはパネルなどで首里王府の位置やしくみ、冊封式典(さっぽうしきてん)などを解説し、映像による展示も行っています。
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番所、南殿~書院、鎖之間と庭園~近習詰所~正殿北殿と回りました。




久慶門
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「久慶門(きゅうけいもん)」は別名「ほこり御門(うじょう)」ともいう。歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、ここは通用門で主に女性が利用したといわれている。国王が寺院を参詣(さんけい)したり、浦添から以北の地方へ行幸(ぎょこう)するとき等に使用した門であった。創建は1477~1526年【尚真王代(しょうしんおう)】といわれ、1983年(昭和58)に復元された。(首里城公園HP参照)


ここが出口です。












1429年から1879年の450年間、琉球王国の城としてあり続けた首里城は、それだけの風格と威厳があります。

日本と中国の文化が融合し独特の建築様式になっています。

鮮やかな朱色に彩られた建物や装飾は悠久の時を超えて琉球文化の息吹を感じさせてくれます。

建築物は復元されて綺麗ですが、古の趣が残っているかといえば、ありません。

ユネスコ世界遺産に登録されているのは遺構部分のみで、復元されたものは入っていません。

首里城公園と名前が付いているのも納得です。

って、3年前と全く同じ感想です。










正殿が改修中なのがチョット残念でした。

はやくも「日本語の通じる外国」感が半端ないです、ハイ。

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だってハイビスカスが大通り脇に、路地裏に、ほったらかし状態で、フツーに咲いているんですョ。

































posted by ふ~さん at 11:22| Comment(2) | 沖縄 | 更新情報をチェックする