2018年06月15日

世界文化遺産 斎場御嶽せーふぁうたき(沖縄県南城市知念字久手堅地内)





 那覇三日目です。

「世界文化遺産の斎場御嶽に行ってみよう」とキョウヘイ。

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沖縄本島の南部だそうです。

南城市知念の国道331号線を走っていると山側に大きな橋があります。

この橋は、ニライ橋とカナイ橋が合わさりニライカナイ橋といいます。
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ニライカナイとは遥か遠い東の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界と言われています。

また 豊穣や生命の源であり、神界でもあるとされています。

U字型にかかる全長1,200mの橋です。

ニライカナイの橋を渡りきると斎場御嶽は近いそうです。





斎場御嶽チケット売場に到着。
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斎場御嶽に入る前にビデオ室でレクチャーを受けます。

ビデオを見ている時に外国人観光客が入ってきて、喋りまくっていました。

説明が聞こえません。

困りますョね。

展示もしています。

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さ~斎場御嶽に入ります。
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斎場御嶽
御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で斎場御嶽は琉球開びゃく伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地です。
 御嶽の中には、六つのイビ(神域)がありますが、中でも大庫理・寄満・三庫理は、いずれも首里城内にある建物や部屋と同じ名前をもっています。当時の首里城と斎場御嶽との深い関わりを示すものでしょう。
 はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島からわざわざ運び入れ、それを御嶽全体に敷きつめました。その中でも、最も大きな行事が、聞得大君の就任式である「御新下り」でした。斎場御嶽は、琉球国王や聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り」(アガリウマーイ)の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。

東御廻り(あがりうまーい)
琉球の創世神アマミキヨが渡来し、住みついたと伝えられる知念・玉城の聖地を巡拝する神拝の行事。
首里城から見て、大里・佐敷・知念・玉城を東四間切または東方(あがりかた)ということから、知念・玉城の拝所巡礼を〈東廻り〉と称した。久高島は麦の発祥地、知念のウファカルと、玉城の受水走水(三穂田)は米の発祥地として国王及び聞得大君が参詣したことから、後世、沖縄中の各門中(父系の血縁集団)も拝むようになったという。

御新下り(おあらおり)
聞得大君が最高神職に就任する儀式。首里における儀礼を終え、大里間切与那原(おざとまじりよなばる)にあったいくつかの要所を経て、知念間切(ちねんまじり)にある斎場御嶽に入り、2日間に及ぶ数々の儀式を執りおこなった。
聞得大君は、聖水を額に付ける「御水撫で(うびぃなでぃ)」の儀式で神霊を授かり、神と同格になったといわれる。
御仮屋(うかりや)が建てられたり道路が整備されたりと、その準備には数か月も及んだという。琉球王国で最大規模の行事。

聞得大君(きこえおおきみ)
聞得大君とは「最も名高い神女」という意味で、琉球の信仰における神女の最高位の呼称。聞得大君は、琉球王国最高位の権力者である国王と王国全土を霊的に守護するものとされた。そのため、国王の姉妹などおもに王族の女性が任命された。
知念間切の総地頭職の位につき、琉球最高の御嶽である斎場御嶽を掌管した。
初代(1470年)から15代(1875年)までの約400年余りにわたって、琉球王府の神事を担った。

アマミキヨ
琉球民族の祖霊神と言われている。
琉球の神話では、日の大神(天にある最高神)は琉球を神の住むべき霊所であると認め、創世神・アマミキヨに命じて島づくり国づくりを命じる。天上より琉球の地に降りたアマミキヨは、この命を受け、沖縄本島をつくったとされる。
現在では、アマミキヨによってつくられた聖地のうち7つが琉球開びゃく七御嶽として語り継がれ、琉球の信仰において最も神聖な御嶽として位置づけられている。

久高島(くだかじま)
琉球王朝時代から今に至るまで数々の神事がおこなわれてきた、神の島と呼ばれる島。
知念(ちねん)半島の東約5kmに位置し、周囲7.75km。琉球開びゃくの祖アマミキヨが天から降りて最初につくったとされており、五穀発祥の地でもある。歴代の琉球国王は17世紀まで2年に1回久高島参詣を欠かさなかった。12年に1度、午年に行なわれる祭事・イザイホーに代表される神秘的な祭事がそのまま残っているため、民俗的に貴重な島として注目されている。(パンフレット参照)


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神の島、久高島が見えます。

琉球の国王もここから見たのでしょうか。

ロマンですね~~~。




御門口(ウジョウグチ)
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御嶽内へ入る参道の入り口です。右側には、六つの香炉が据え置かれていますが、これは御嶽内にある拝所の分身とされています。(パンフレット参照)


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急斜面が続くのでしょうか。

足元が心もとないので、ゆっくり行きましょう。

地元のおばぁが祈りの為でしょうか、我々を追い抜いていきます。

足元のしっかりしたこと、ビックリです。





大庫理(ウフグーイ)
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御門口から登っていくと左手に見える最初の拝所です。大広間や一番座という意味を持っており、前面には、石畳の敷かれた祈りの場(ウナー)があります。(パンフレット参照)




寄満(ユインチ)
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寄満とは、王府用語で「台所」を意味しますが、ここで調理をしたわけではなく、貿易の盛んであった当時の琉球では、世界中から交易品の集まる「豊穣の満ち満ちた所」と解釈されています。(パンフレット参照)




シキヨダユルとアマダユルの
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二本の鍾乳石から滴り落ちる「聖なる水」を受けるため、二つの壺が据え置かれています。この聖水も拝所です。




三庫理(サングーイ)
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三角形の空間の突き当たり部分は三庫理。右側の岩の上がチョウノハナで、それぞれが拝所となっています。また、左側には海の彼方に久高島を望むことができます。(パンフレット参照)

時の流れがゆっくり静かです。

悠久の時間を想うひとときです。

この三庫理の拝所が一番気高く荘厳でした。

圧倒されました。

三庫理から、展示室で観た金製を含む勾玉や中国の青磁器や銭貨が出土したそうです。

三庫理前からは排水溝も発掘されたそうです。

他にも石畳の参道の下をくぐりぬける排水溝や祀りの場を清めた白砂の堆積も発掘されたそうです。

三庫理の左側からは海の彼方に久高島が。
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琉球王朝から現在の沖縄の人々が大切に守ってきた斎場御嶽パワーを頂きました。

1時間の巡礼でした。







チケット売場の横のおみやげ市場で気になるものがありました。
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「近くに知念岬があるのでい行ってみよう、久高島がきれいに見えるョ」

って事なので行ってみました。

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絶景かな絶景かな」
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posted by ふ~さん at 12:00| Comment(2) | 沖縄 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
斎場御嶽,ここは子供達にはちょっと無理だろうなーとは思いましたが、
私一人の勝手な行動をとらさせていただきました。
しかし、私の記憶とかなり違っております。
まず、入場料なんて必要だったのか、私の記憶では無料だったような。
急斜面なんてあったかな、平らな道をそれほど歩かずに着いたような。
三庫理というんですね、この場所は強烈に記憶に残っています。
でも、その時に久高島を神の島と崇めていたからだろうなと冷めたみかたをしていました。
Posted by ヒロ at 2018年06月21日 14:04
ヒロ様
ここは子供には無理です。
三庫理(サングーイ)は特別な空気感でした。
地元のおばぁがお参りをしている姿を見ると、琉球王国の最高聖地であることが解ります。
能天気な私でも神聖な気分になりました。
良い経験をしました。
Posted by ふ~さん at 2018年06月22日 21:28
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